世渡り力はまだまだサラリーマンに必須のスキルであろう

最近のサラリーマン社会の傾向として、個人のスキルが重視され過ぎているなという気がする。これは厳しい世相も反映していることに違いない。社内でも大変な競争があるだろう。いつリストラされるか分からない。

だからこそ、企業人は個人のスキルを高めなければならないという論調になっているのだが、私はそれに対してとてつもない違和感を覚える。

そもそも会社の仕事において、仕事のスキルだけあれば十分と言えるのかどうかという問題がある。会社員生活には必ず人間関係が付いて回る。会社には善人もいれば悪人もいる。想像を超えるくらい非常識な人間とも時には一緒に仕事をしなくてはならないケースもある。

そうした時に必要となるのは「世渡り力」ではないか。すなわち、組織の中で偉い人を見抜いたり、偉い人に取り入ったりする能力である。集団の中で生き抜くスキルである。

こういう世渡りは簡単に身に付くものではない。どこかの会社に入社したとして、おそらく新入社員向けのマナー研修みたいな講座に参加させられることもあろう。敬語やビジネスマナーなど、表面的な事柄は教えてくれるだろうが、もっと本質的な人間関係のルール一般については、座学で教えられることであるまいと私は思う。

そういうスキルというのは、学生時代に体育会系の部活に参加したり、あるいは犯罪者予備軍(本当の犯罪者集団ではない)の集まりなどにちょっと参加して、組織の理不尽というものを身体を通して学ぶようなプロセスが必要なのではないかと思った。

会社というところは、人が人を管理する場所であり、そこでの集団力学や、人間関係の掟というものを知るには、どうしても、それに似た組織において、ある一定期間、人間について実地で学ぶことが大切ではないか。

今流行しているというか、今後の世界を一変させる可能性のあるAIのような先端技術が進歩していったら、将来は人間そのものを学ぶ必要はなくなるのかもしれない。その頃には組織における、会社における政治の問題に頭を悩ませることはなくなるかもしれないが、そこまでAIが発達するのはずっと先のことだろう。

現在、会社における面倒臭さを緩和してくれている流れというのは、在宅勤務の推進であって、これにより、会社の中で嫌な奴や、気に食わない、気が合わない輩がいたとしても、そのストレスは相当程度我慢ができるものになっているのではないか。

朝出勤して、夕方に帰宅するような会社員生活に適応できないと、会社員として、いや、社会人としても何かダメであるかのような気がしてくるのだが、それがそもそもの間違いである。単なる社会からの洗脳、刷り込みに過ぎないのだろう。それから、そういう従来型の組織での会社員生活というのは、外交的な人格を持った人間にとっては特にストレスにならないかもしれないが、内向型で、面と裏の顔を使い分けているような人間にとっては、かなり精神的な負担がかかるものだと言わざるを得ない。