職人根性を賛美する日本の企業文化

東南アジアで働いていると気になるのが、多くの日本人サラリーマンに垣間見られる日本の職人根性である。職人根性といっても色々あるだろうが、一番気になるのは、「この仕事あんまり好きじゃ無いんだけど(興味が無いんだけど)、仕事だからプロとしてしっかりやる」という態度である。

そのサラリーマン諸氏の仕事のアウトプットの質は総じて高いと思う。おそらく、多くの他者からその仕事は評価されているのだろう。

ただ、気になるのは、彼らが「この仕事は好きじゃ無いんだけど(興味が無いんだけど)」とわざわざ枕詞にして表明していることだ。そう、わざわざそんなことを言う連中が結構いるのだ。

いちいち自分の仕事の好き嫌い、興味のあるなしなど表明する事はないだろうに、なぜか彼らは自らの仕事を貶めるような言い方をするのである。

これは照れ隠しもあるのかもしれない。本当は自分の仕事が好きで好きで堪らないのかもしれない。それにも関わらず、他者に対して自らの仕事について話すときはあえて、好悪の感情や意見を明らかにしない。

こう言うサラリーマン諸氏を見ていると、学校の教室を思い出す。学校にもやはり優秀な連中からできの悪い輩まで色々といたものだが、優秀な連中の中には、「俺(わたし)、勉強なんてやる気ないけど、それに努力してないけど、出来ちゃうもんね!」みたいな態度を取るのがいた。

それからまた、好きな科目は?とか、得意な科目は?などと言う質問に対しては、答えをはぐらかして、ニヤニヤと薄笑いを浮かべて誤魔化して答えないような奴もいた。

そうやって本音を明かさないで10代を過ごしつつ、建前で生きることに慣れてしまった人間が今度はサラリーマンになるわけである。

「この仕事は好きじゃないけど、仕事だから真剣にやるし、仕事に関する勉強は他人に負けないようにしっかりやる」と言うスタンスを取る人が結構いるのだ。

それでまた、自らを社畜などと揶揄して表現してみたりする。マゾヒスティックな喜びに浸っているんだろうか。これだけ嫌いで、興味も無い仕事なんだけど、これだけ会社からも顧客からも評価されて、スゴイじゃねえか、俺!?みたいな感じか。

タイやベトナムではそう言う薄っぺららいサラリーマンに数多く会った。個としての自分の意見は言わず、社会への関心は薄く、ただただ会社の仕事だけをし、会社という社会にのみ適応してしまったような人間がたくさんいた。

彼らの心を支えているのが日本の伝統的な職人根性なのである。すなわち、職人はどんなに「つまらない」仕事に見えようがコツコツと何十年も文句を言わずにその仕事を続けられるし、顧客の期待を数倍も、あるいは何十倍も上回るような仕事上のアウトプットをして見せたりする。

職人に個人としての意見や、好き嫌いは無いわけである。日本の場合、もっと良く無いのが、そこに昔からの村落共同体の村意識と、近代に誕生した企業社会が歪な形でミックスして、国際的にはかなり異形と思われるような企業人間、会社人間を生み出してしまっているということだ。

彼らは本来、オリジナルの感性や、考え方を持った人間だったのだろうが、日本社会に未だに覆ったサラリーマン至上主義の価値観に毒されてしまって、あるいは洗脳されてしまって、職人的な企業戦士に仕立て上げられてしまったというわけなのである。

こういう話というのは当然のことながら、当の企業戦士たちも重々承知な人もいるのだろうけど、洗脳されたフリをした方がこの現世というか、日本の資本主義社会において(サラリーマン社会において)得をするのがわかっているから、もう自ら進んで会社や世間が喜ぶような企業戦士を演じてしまっている人もいるかもしれない。