今現在、無職であり、精神の健康は最もよく保たれていると感じる。働いていた時は朝から怠かった。その怠さが取れず、それこそ一日中怠い時も多かった。会社を辞めた途端に精神が健康になっていくと実感する。まあ、これはいつものことだが。よほど、会社勤めというのが向いていないらしい。会社員の人間関係のストレスというのは相当な者だ。嫌な上司、嫌な客、嫌な同僚、、、とにかく難しい人間関係をさばいていくことが必要であり、これは繊細で優しい感性を持った人間には難しいように出来ている。年をとるとそれなりに角が取れて図太くはなっていくと思うが、人間の本質は変わらないのである。それを一定の正しい社会人像の鋳型(金型でもいい)みたいなのがあって、それに当てはめて会社組織の中で働いてもらうというのが近代において連綿と続いてきた会社ではなかったか。
ということを考えつつも、自分にとっては会社というのは、文章を書いたり、とにかく何かモノを生み出す、創造する上で役に立つ場所だとも考えていた。
確かに会社は大変なところだ。馬鹿な上司がいればぶん殴りたいような衝動に駆られることもある。それでも自分を抑えなければならない。また、抑えた方が得をすることもある。
しかし、そうやって我慢しながら会社勤めをしていると、これは目に見えてわかるとか、検証できる話ではないが、例えば会社で得た経験から文章を書くインスピレーションを得ることができる。嫌な経験でも良い経験でもそうだ。
いや、人間について深い理解ができるのは、嫌な人間と対した時ではないだろか。自分と気の合うとか、尊敬できる人間と会うのはもちろん楽しいし、そちらはそちらで自分の成長につながるだろうけど、真に人間社会を客観的に見て、そこから何かを感じ取って、自らのオリジナルの作品を生み出していくにあたっては、一見無駄に見える、愚かで、粗野で、非合理的で、獣性を帯びた下らない連中から学ぶことは多いと確信している。
そうした一見、「殊勝な」考え方をしてみるものの、いや、わかってはいるのだが、、、働かないで無職でいるのは本当に楽でたまらない。
まあ、たまにはこうやって楽をさせてもらうのも良いだろうか。働き出すとくだらない、とるに足りない連中と、どうでも良いこと(業務も含めて)、さばいていかないといけなくなる。そういう面倒なことを一切をやりきると月給がもらえて、世間の連中からも一端の社会人として認められるのである。