客先に出向く必要があって、アユタヤ方面に車を走らせていた。高架の高速道路で1号線のドンムアン空港を通り過ぎるあの道路だ。
昨今のコロナの影響もあって車はほとんど走っていなかった。
それから県境において検問があるというから些か緊張していた。
高速料金を支払う料金所のところで案の定、警察官が待ち構えていた。コロナの検問だとばかり思っていたがそうでは無い。スピード違反の取り締まりであった。
私が外国人だとわかると、2000バーツを要求してきた。流石に2000は高すぎると思い、半分の1000バーツでどうかと交渉したらあっさりとOKがでた。
しかし、金を払ってしばらくして、スピード違反には500バーツ払えば十分では無いかということに気が付いた。タイでスピード違反をして送られてくる切符は今のところ500バーツである。1000バーツでも相場の2倍である。
くだらないところで金を使ってしまった。そもそも今のバンコクの道路の空き具合だったらわざわざ高速道路を使うまでもあるまい。下道で十分だ。
さて、そんなことをあれこれ考えているうちに、ふと思い浮かんだのは、結局のところ、ボッタクリ、悪徳警官がタイにいるうちは、外国人にとってタイは住みやすい国であり続けるだろうという見方である。
これが日本のようにきっちりとした完璧な法治国家になって、民主主義も行き届いて理不尽が無い世界になった時には、現在のタイの物価よりも高くて住みにくい国になっているはずだ。
悪徳警官がいるような北の価値観から見ればロクでも無い空間であるからこそ、貧富の差もひどいし、低賃金の労働者を企業は安く使役できるというわけだ。
東南アジアには先進国の仲間入りをしているシンガポールのような国もあるわけで、タイがもしシンガポールのような国になったとしたら、もはやタイに自分がいる意味もなくなってくる。それは生活に対するコスパの問題である。
給与も高くて、何もかも清潔で、サービスも高水準である。しかし、物価は高く、国家に国民や外国人が管理・監視されているような国家、、、そのようなイメージをシンガポールに持っているが、そういう状態になったらタイにいても仕方あるまい。
とはいえ、この先10年ほどでまたタイの情況というのも大きく変わるであろうから、将来は何とも言えない。
今言えるのは、悪徳警官にボッタクられたことに対する憤懣と、そのことから感じるタイの後進性に対する安堵感という、一種の歪んだ感情であった。