仕事を辞めた後にこうしてプチ隠居のような生活を送っていると、会社で働かないでいることがいかに精神を安定させて、心安かな生活を実現させてくれるかということに気がついた。
今日など起きてから3度の飯を食べるくらいの活動はしているのだが、それ以外はそれこそ、ネットを見るとか、読書するとか、ゴロゴロするとか、そんなことぐらいしかやっていない。
外に夕飯を食べに行ったときだが、自分が住んでいるエリアにも小さな市場があった。会社で働いていたら、わざわざ市場で買い物をしようとか思わなかった。それは自分の住んでいるアパートからその市場まで3分程度歩かねばならないからだが、働いていたときにはとくに、生活圏内に無かったエリアだった。
無職になってようやく、タイの土着の市場にも行けるようになった。
会社に居た頃は、会社で必要とされるような知識の習得にも一応励んではみたが、まあ、今となってはやはりアレらの知識は取るに足らない、どうでも良い、くだらない表層的な知識であった。
ちょっとした経済的な知識やら、会計的な数字、用語を弄んで、いかにも、「俺っち、仕事してるもんね」みたいに小鼻をヒクヒクとさせながら、声も高々に議論している日本人ビジネスマンを見るにつけ、ああ、実に実業家という連中は下らないものだと改めて思うわけである。
連中の関心事というのは上からの評価、ただそれだけであって、そこから先の崇高な何かを目指して学問するとか、哲学するとか、そういうことはまず無い訳である。
こうやって一般的な世間から少しの間だけ離れるというのも、自らの人生を考える上では大切だろう。
とくに、日本を離れて東南アジアで働いていたところで、日系企業に属していたりすると日本の常識から完全には逃れることが出来ないからである。日本を脱出しながらも、「日本の常識を弁えている常識人」という仮面をかぶり続けるしんどさがある。