会社に行かないというのは実に幸せなことなのだと改めて思う。失業中だからこそのことであるが、早起きする義務も無い、寝たいときに寝て、起きたいときに起きる生活だ。
朝起きて、会社に通わなくても良いというのはすばらし過ぎる。こうしているうちにだんだんと金が無くなって行くのは分かり切ったことだが、会社のくだらない社交に頭を悩ませることもない。
会社での労働というのがクオリティー・オブ・ライフを著しく下げる原因なのである。
労働さえなければ人生は素晴らしいものに変わる。
逆に、労働があればこそ、人生そのものが苦役になってしまう。
会社というのは一応は合法的なものだとはされているけれども、会社で働くことによって、自分よりも弱い存在の者から富を収奪することで、自分がサバイバルすることなのではないかという懐疑は自分の頭に良く浮かぶことだ。
今日等も、一人きりで焼き肉を食べに行ったが、自分がまさに会社で稼いだ金(見ず知らずの他人から収奪した金)で、うまい焼き肉が食えているんだということに気付く。決して、自分の実力により稼いだ金だなどと傲慢なことを云うつもりは無い。
現代の資本主義社会の世の中において、会社で働くというのは即ち、他人からの収奪、弱者からの収奪ということなのである。システムがあまりにも複雑でその裏事情がよく見えないから分かりにくいのだが、結局はそういうことだ。
隣人が失業したり、飢餓に近い状態で酷使されているからこそ、自分たちはそのおかげでもって美味い飯にありつけるというものだ。
そんなことを考えて行ったときに、ああ、自分自身がここ数年、おぼろげに考えてきたことは決して間違いでは無かったということに思い至った。
即ち、会社というものは、金を稼ぎに行くところではなく、金をもらいに行くところだ。雇用者や管理監督者に出来るだけバレないように仕事は手を抜いて、最大限に金をもらうのが正しい。
タイで働くときに、よく出くわす怠惰なタイ人をあげつらって、「これだからタイ人はダメだ。我々日本人がしっかりしなければいかん!」などと鼻息を荒げて自らの社畜根性を披瀝する同輩がよくいるものだが、そういう連中にはおそらく一生分からない理論だろう。
のんびりしたタイ人と一緒になってのんびりと働いているときが一番気楽である。