ブラック企業はどこまで行ってもブラック企業

ベトナムで転職した。前職も外資系企業だったが、日本人が外国で立ち上げた会社だったので、生粋の外資系企業とは呼べなかった。(これはあくまでイメージのレベルの話だ。よくドラマなんかで出て来る外資系企業といえば、英語が飛び交って、異国の様々な人種の人々が一緒に働いている、、、というようなイメージがあるだろう。そういう意味で、前職の会社はかなりドメスティックだった。日本人が多く働いていたし、そこで働いているベトナム人も多分に親日的であった。)

転職後の企業は完全な外資系だった。いよいよ自分は外資系に来たんだなという思いを新たにしている。英語だらけの環境だ。中には英語だけではなくて、中国語もベトナム語も喋れる外国人もいる。こういう環境でモノを言うのは英語だよなと思いつつ、自分の英語力の不足さ加減を嘆き、茫然自失の状態であった。

それでも、いまの会社に変わってから糞みたいな朝会はなくなった。前職では朝会じゃなくて、「詰め会」なんじゃないの?と思わずツッコミをいれたくなるような、古臭い朝会が存在した。日本人というのは海外で起業しても、どうしても日本人的な、所謂体育会系的な管理をやりたがるものらしい。そういうのが嫌で海外に出て行ったはずだろうに、彼らの深層心理の奥底に、性悪説に基づいた人間不信というものがあって、マイクロマネージメントに墜することになるのだろう。

社長も経営幹部、そして上司たちも、プレイヤーとしては大変に優秀だったと思う。だが、残念ながら、彼らのようなマネージメントを続けていたら、精神の病を発症する部下が続出するだろう。退職を余儀なくされる社員も出て来る。会社に残るのは経営者のマインドに逆らわないイエスマンだけということになる。

どうやら自分は東南アジアのブラック企業に勤めていたようだ。そして、その手のブラック企業というのは割と多く東南アジアに存在するらしいのだ。何事も経験ではある。自分は東南アジアのブラック企業での就労経験を通して、もう二度と薄給激務な会社には勤めないと誓った。ブラック企業というのはどこまで行ってもブラック企業なのだ。