日本では本探しに明け暮れた

一時帰国の機会を利用して近所のブックオフへ行ってみた。まあ、半年程度、日本を留守にしていたぐらいなので、真新しい発見は無かったが、やはり、本屋に行って、それなりに本が揃っている状態というのは良いものだ。

ベトナムにいると新刊書も古本も手に入りにくい。洋書も手に入りにくい。ベトナム語の本はそれなりにあるが、自分はベトナム語の原書の本を読めるほどにはベトナム語に通じていない。

よって、日本語か英語の本を探すことになるが、とにかく本屋の数が少ない。本屋があっても本の種類が少ない。ガッカリとしてしまう。

ベトナムではひたすらスマホを使用してネットサーフィンに明け暮れたが、スマホによる読書は限界があるなと思う。青空文庫で古典を読むこともあるが、どうしても紙の本を読むときの楽しみは味わえない。

海外生活は通算で5年を超えた。最初にタイで暮らしていた頃というのは、それこそ箸が落ちても面白いというか、タイにあるものが何でもかんでも興味深く、面白く思えた。

昨年の末からベトナム暮らしが始まったわけで。確かにベトナムもそれなりに暮らしていて面白いけれども、タイという異国を通して、外国暮らしを知ってしまったということもあり、さすがに、ベトナムにいて、何でもかんでも面白いと感じられるようなナイーブな心境には既になかった。

そして、ベトナムで、書物に簡単にアクセス出来ないとなれば、あとはもう日本に一時帰国したときとか、タイに遊びに行ったときになどに、大量に本をまとめ買いするしかないのだなということに気が付いた。

そうやって、コツコツと書物を買って、読書するという習慣は続けないとイカンよなということを改めて思う。読書有意味・無意味説、世間には色々あるけれども。

卑近な話になってしまうが、まあ、読書していないと、自分自身が操れる語彙が貧弱になっていく気がする。いや、語彙ばかりならまだいい。考えることも貧弱になっていく。

よく、「自分は本を読まなくても自分の力だけで思考できる」と嘯く人間がいるが、何と言う浅はかな考えだろうなと思ってしまう。そして、日本にいないと増々、紙の読書をするような人たちとは縁遠くなる。ああ、おそらく、日本で何十年もかけて、じっくりと読書していったような人たちとはどんどん差をつけられてしまうなと思う。読書をしないことが当たり前になってしまうのだった。

そういう反省もあって、これからは努めて本探しをしなければならないと感じていた。