東南アジアでも日系企業で働いていると報連相にうるさい日本人によく出くわす。
アジアに出て来た現地採用日本人であっても、日本で就労経験があると、この「報連相」文化が身体に染み付いて離れないようなのだ。
報連相にうるさい人というのは、何かにつけて、「それ、俺(わたし)、聞いてないヨ!」といって機嫌を損ねる。そして、部下の管理の仕方というのもマイクロマネージメントに墜してしまうことが多いようだ。
一方で、自分が今働いているベトナムにて、日本人以外の労働者の働きぶりを見ていると、報連相などに無頓着であって、個人主義が横行し、チームプレイなどに殆ど関心が無いように見える人が殆どだ。
彼らの多くが、自らのスキルアップや成長、そして自らの仕事については責任を持つが、それを越える部分になると、他人に対して途端に非協力的になってしまう。
日本人上司としては、報連相をきちんとやってくれる部下の方が安心で管理もしやすいが、自由奔放な東南アジアの労働者には手を焼く事だろう。
ただ、報連相にこれだけうるさいのは日本企業だけであって、日本以外の国にはそんな企業文化が無くてもそれなりに仕事が回せているのであれば、とくに報連相を重視しなくても良いではないか。
日本人というのは仕事について細か過ぎる。真面目過ぎる。「その真面目さが日本の高品質の製品に反映されているのだ」という論調がよく日本企業文化万歳主義者に見られるのであるが、その真面目さがどれだけ労働者を苦しめて、精神に負荷をかけているのか日本の企業人たちはどれほど理解しているのだろう。
卑近な話になるが、筆者がベトナムで買う紙パックの牛乳にしても、何本に1本かは封がきれいに開かないことがある。純粋な日本製品であれば、100発100中は言い過ぎかもしれないが、封はいつ開けてもきれいに開くだろう。
それだけ日本の工場の品質管理は素晴らしいのだろうけど、筆者みたいな物臭な人間にとっては、別段、牛乳パックのフタが毎回きれいに開かなくてもそれほど腹は立たないのである。
ムキになって怒るほどのことではない。それでもおそらく日本的生活に慣れきった日本人ならいちいち怒る人もいるだろう。そういう細かさは周囲にいる人間達にも及ぶため、海外にいて現地の人たちと働いている日本人の中には、周囲の人たちから煙たがられている人も相当いるはずだ。
そしてまた問題なのは、そういう日本人というのは自らが日本文化を弁えていて、日本文化の代表者なのだという自負まで備えていることもある。彼らは海外に来てまで日本文化の「主流派」であると自ら信じ込んでいる節がある。そういう輩というのは、駐在員にも現地採用にも、あるいは自営業者にもいるからとても厄介である。
筆者のような面倒くさい日本文化を捨て去りたいと心の中で強く願っているような人間にとっては、彼らと一緒に仕事をするのはとてつもない苦痛が伴うのだった。彼ら「主流派」たちは、日本文化を分かっていない「少数派」たちへ事あるごとに攻撃を加えるのを楽しみとするようなところがあるから。
とはいえ、海外で働きながら暮らす際には、完全に日本人との関係を断って生活するというのもこれはこれで大変なことである。
そのため、「面倒くさい日本人対応」というのが、アジアで現地採用をやっていく上での外してはならない肝の部分にあたるのではないかと分析している。