東南アジアには英語ゴロが蔓延り易い

東南アジアにおける英語の重要性というものを最近はとくに感じている。東南アジアのどこかの国で働くにあたって、とりあえず英語さえ出来るように見せられれば(実際の英語の運用能力とは関係なく)、職場において最低限の居場所は確保できるに違いない。

仕事の出来不出来に関わらず、また、現地語ができなくても、とにかく英語さえ出来れば東南アジアではやっていけるのだなという実感がある。

こういうのはまさに英語ゴロだなと思う。日本本土の外資系企業にも英語ゴロみたいな連中はいるのだろうけど、まあ、本質は一緒であろう。

東南アジアの場合は、西洋での留学を経験したけれど、西洋で仕事を得てサバイバルするまでは能力が高くなかった人が、東南アジアで英語を活用する道を見つけるといったことが多いのではないか。

現地語を覚えて、アジアゴロになる人もいるようだが、そうではなくて、現地語は端から覚える気などなく、英語ゴロとして生きる人も多そうだ。

現地語をマスターして、仕事で困らないぐらいまでのレベルにもっていくのは相当な時間とエネルギーが必要になるだろう。そして、東南アジアのどこか一国の言葉をマスターしても、ほかの国に行ったときにあまり汎用性が無いという欠点もある。

効率と実利だけ考えると英語だけマスターするべく努力した方が良いのだろう。かく言う筆者も英語をさらに勉強しなければならない状況になっていた。現地の文化を尊重する意味で、筆者としては英語よりも先にまずは現地語をマスターすべきという立場を取っていたが、宗旨替えしなければならない必要性に迫られている。