こうして勤め人をしながら日曜日の朝を迎えるのも久しぶりのことであった。ちょっと前までは岐阜の片田舎の小さな工場で働いていた。あのときの生活はまさに日本を彷彿としており、頑迷固陋な田舎人との対決であるとか、田舎特有の濃い人間関係というものに向き合わねばならなかった。
そういうものと比べれば今いるベトナムというのは何倍もマシかもしれない。そう思い込みつつ、ああ、これであと何時間かしたらまたオッフィースに行って、仕事をしなければならないという現実があった。
せっかくの日曜日だから街歩きをしようかと思いつつ、仕事のことが気になっていた。仕事について何かしておく必要があったが、何から手をつけていいか分からなかった。やるべきことはかなり膨大にあるはずだった。とにかく、それをうっちゃっておいて、ただただ遊んでいることは憚られた。ううむ、自分も真面目になったものだ。
こういう真面目な気持ちを起こさせるのも、ベトナムで働く日本人にはあまりちゃらんぽらんな人がいなさそうだからだ。皆、目標があって、日々を一生懸命生きているように見受けられた。パチパチと放電するようなエネルギーが伝わってくるようだった。早くも価値観の違いを肌で感じることがしばしばであった。
東南アジアと一口に言っても、国によってはベトナムのように競争社会の性質がむき出しになった場所もあるようだ。私が感じている違和感の根本の部分はおそらくそこにある。しかしながら、一週間のうち、労働日においてはそんなことを悠長に考えていられるほどの余裕は一切無い。だからこそ、こうやってたまには仕事を中心とした思考から離れて、じっくりと内省する時間が必要になってくる。