海外脱出のときが迫っていたが、ここにきていよいよ怠け癖に火がついていた。気が付くと一日で10時間以上眠っている。昼夜逆転は当たり前のことであり、朝寝て、目覚めるのは午後の3時か、4時であった。
タブレットのゲームにはまっていたが、それも少しばかり飽きが来ていて、読書も積極的にやることは無かった。となると、もう昼寝ぐらいしかやることがなくなってくる。眠りながら夢を見るぐらいが趣味になっていた。それも良い夢を見られたときは最高だった。夢から覚めて、今まで見ていたモノが夢であると気が付いたときに、夢の続きを見るために慌てて眠りなおすのであった。
自堕落の極みかもしれないが、まあ、これから海外に行けば嫌でも働かねばならない。のんびりと昼寝をする時間などもうなくなるだろう。だから、今は昼寝も含めてやりたいことをやっておけばよろしいのだと自分自身に言い聞かせていた。
今度行く海外の現地語の学習についても、ちょっと学習のスピードが落ちていた。まあ、語学の勉強というのは大抵そういうものである。それなりに言葉をマスターするには時間がかかる。ウサギと亀の話ではないが、早くマスターするか、マスターに時間がかかるかのどちらかだろう。早い人は新しい言葉を2年でマスターするかもしれないが、遅ければ3~5年かかるという話だ。人によっては10年以上の年月がかかってしまうかもしれない。
早ければ早いに越したことはないが、じっくりと言葉の学習に取り組むのも大切だと思う。器用貧乏という言葉もある。言葉の学習は飽きたり、挫折したりが当然あるのだが、そうなると、時間がかかってもコツコツ勉強できる人が最後には器用な人を追い抜くのだろうと想像している。
海外で働くにあたって、現地語が出来ることの優位性がどれだけあるのか無いのかという話についてはまた別の機会で考察したい。言語だけ出来れば仕事は出来なくていいのかとか、仕事が出来ないことの隠れ蓑として現地語は使用できるのか。