前に働いていた会社で、こんなことを言う人がいた。
「会社には稼ぎに来ているんだからな!」
随分と荒々しい言葉だったように記憶している。「稼ぎに来ている」という言葉には下品さも感じ取れた。
サラリーマンとして会社に通うことについて、そういう風に特定の目的を設定する必要があるのか。敢えて目的を決めるとしたら、、、
「会社には給料をもらうために来ている」
ということだろう。
どれだけ会社に貢献したかとか、仕事をしたかとか一切関係ない。仕事をしていようがいなかろうが会社に行けば給料をもらえるのがサラリーマンである。その真実に目を背けて、プロ意識がどうのこうのという話をし始めるから訳がわからなくなる。
どんなに会社に行きたくない気分であっても、とりあえず会社に行って、仕事があろうとなかろうと時間をやり過ごすとしても、それは給料をもらうためにすることである。給料がもらえないのであれば、そもそも会社に行こうとさえ思わないはずだ。
筆者がこんなことをわざわざ記事にするのは、会社で仕事をする場合、会社から仕事上での高い評価を得るということが大変なことだからであった。数字で仕事の成果が誰の目にもわかるような営業職はともかく、世の中の多くの仕事の成果は他人が評価しにくいものである。評価基準もあいまいだ。
それにも関わらず、「仕事が出来る人」と目される人と、「仕事が出来ない人」と見なされる人が出てきてしまう。
これは非常に不公平極まりないことだ。
第三者からもともと公平に仕事というものがジャッジされない現実があるのに、「会社には稼ぎに来ているんだからな!」などというような説教めいた話を聞かされても、ほとんど心に響くことが無い。
会社での仕事の評価には上司や周りの人々からの恣意的、主観的な印象が混じる。だから、そんなに根詰めてやることもあるまい。そういう思想を突き詰めていくと、究極的には会社には給料をもらうために行くということになってくる。