SLEEP CAFE パタヤのバス停の近くにあった

もうかれこれ1年前の話になるが、私がタイで働いていた頃に大学時代の友人がタイに遊びに来たことがあった。バンコクで合流した後にパタヤへと向かった。

パタヤではお決まりの放蕩に明け暮れたが、短い日程だったのもあり、別れのときは早々と訪れた。

友人がバンコク行きのバスに乗るときに少し時間があったので、立ち寄ったのがこのSLEEP CAFEだ。

店内のいかにもな寂しくてメローな雰囲気がたまらない。

友人と別れる最後の一時だったので余計そう感じたのかもしれない。

それにしても時間の流れるのがあっという間だという気がしている。20代の頃は人生が永遠に続くかのような錯覚をしたものだった。その頃にしたって、人生の残り時間は確実に減っていっていたはずなんだが、実感が全く無かった。今、こうして40歳という年齢が迫っているときに、ああ、確実に自分はこれから年をとっていくはずなんだということに気が附く。そして、この年になっても依然として自分はおそらく一人前の大人としての分別など身に付けていないのであった。いまだに、アジアだ、放蕩だ、その日暮らしだ、快楽だというものに魅了されてしまう。現代はそういう暮らしに向いている時代だとは思えない。日本の高度成長期だとかバブル期だとか、いや、90年代の日本にしたってまだ、海外での放蕩暮らしみたいなのは少なくとも今よりは実現しやすかったのではないか。現代は飯を食って行くことを第一に考えないことには自らの危険が身に晒されてしまう時代なのだと思う。厄介な時代だ。